シャネル(CHANEL)の情報についてお届けします。

Blog archives for 5月, 2010


Archive for 5月, 2010

火曜日, 5月 18th, 2010

シャネルのアートディレクターとして活躍したジャック・エリュ。ジャックはシャネル社の香水事業におけるイメージ回復の成功を収めた人物といえるでしょう。 ジャック・エリュは、シャネル社のヴァルタイマーに「趣味嗜好の問題」を扱うために進められて入社したようです。当時ジャックは18歳という若き青年でした。 時計のデザイン「プルミエール」にはじまり、化粧品や香水の派ケージデザイン監修、広告などといったシャネル社のイメージの統括の役割を受け持ち、数々の偉業を残しています。 当時、古臭いイメージと化してしまっていた香水「№5」のイメージ回復を図るために、有名女優を起用し、大成功を収めました。その後も数々のミューズを起用し、香水のイメージを復刻していきました。シャネル社の香水事業における成功はジャック・エリュが主導した広告戦略が見事に成功したといます。

金曜日, 5月 14th, 2010

日本の銀座にシャネルを創設する際に、コラス社長が提案したのは、最上階にレストランをいれる。という誰も思いつかないような企画をしました。ラグジュアリーブランドと飲食店のコラボレーションなんて普通の発想では生まれてきません。また、これを理解する人は多くありませんでした。しかし、オーナーだけは「リシャールがやらねば、と言ってるんだったらやろうよ」と気持ちよく賛成したそうです。 シャネルは世界一のラグジュアリーブランドであるから、顧客に催告の時間や喜びを提供するためには、レストランが必要であるとコラス社長は考えていました。コラス社長の多才ぶりとバイタリティあふれた行動、企画やアクティブさもすばらしいですが、それを経営に生かすために受け入れる態勢を許容できるシャネルの柔軟性はすばらしいといえるでしょう。

金曜日, 5月 14th, 2010

コラス社長は、シャネルから 「お堅いビジネスマンというより、おかしな仕掛けをいっぱいもった変なやつ」 だと思われているんじゃないかと見解しているようです。また、シャネルのオーナーからは、 「リシャール(コラス社長)みたいなヤツは一人いればすごくいいけど、10人もいたら大変だよ」 とコラス社長の持ち味をしっかりと感じとっています。 「日本市場での、新しく大胆な試みを支援する寛容さにとても感謝している」 とも評価されています。 コラス社長は2002年に、大胆な企画を提案しました。それが、シャネル銀座ビルの最上階に高級フレンチレストランをいれることを提案しました。

金曜日, 5月 14th, 2010

シャネルの日本法人代表取締役のコラス社長。コラス社長は、会社や組織をマネジメントする際にクリエイティブな要素を取り入れて、独自性を出すことができた。コラス社長の強みを生かせたのがよかったと述べているそうです。一般的には、起業におけるトップにはクリエイティブとはあまり関係がない仕事だといわれていますが、コラス社長は「マネージャーーであるよりも、リーダーであろうとした」と述べています。コラス社長のいうリーダーとは、アイデアを出したり、周りのスタッフを引っ張ったり、スタッフのパフォーマンスを上手く上げれるように支援したりといったものです。こういったコラス社長の姿勢は、どこかココ・シャネルと通づるものがあります。 コラス社長は、シャネルという会社を他の会社では、「こいつはいいマネージャーじゃない」といわれてしまうんじゃないかと思うところも、あえてチャンスを与えてくれるような会社だ。と評価しています。

木曜日, 5月 13th, 2010

コラス社長は、もともとクリエイティブ系だそうです。ビジネスの専門的な教育は受けておらず、MBAも持っていないコラス社長は、文学家か写真家になる事を考えていました。ビジネスにも、モード業界にも、もちろん化粧品業界にもまったく興味はありませんでした。そんな中彼は、20代前半で日本人と結婚し子供に恵まれました。それがきっかけでサラリーマン人生を始めることになりました。そのときに入社したのがジバンシーです。1979年に入社し81年には代表取締役として、日本法人設立の指揮をとりました。 コラス社長は、ビジネスを専門に学んでいなかったため、その分自分には何ができるのかと考えました。その結果、自分がクリエイティブであり続けるという考えに行き着きました。シャネルにおけるコラス社長の「伝統の維持、継承と革新」の本質的な理解は、この時代で育ってきた経験により培われたものなのでしょう。 その後、1985年にシャネルに引き抜かれて入社しました。

木曜日, 5月 13th, 2010

シャネルの日本法人代表取締役社長、リシャール・コラス氏。 コラス氏は、エールフランスのパイロットであった父の提案で日本に来ることになりました。当時、コラス氏には、社長になったり、ビジネスで一旗上げたりといったような野望や向上心はありませんでした。日本に来日した理由も、趣味の写真を、良いカメラを作っているニコンのものを買うのも悪くないといったことでした。これをきっかけに日本との縁が始まったそうです。 14歳のころ、コラス氏はモロッコのカサブランカにいました。彼がアルバイトしていたのは、スズキの代理店でした。父親の友人が日本のスズキの代理店をやっていたのです。スズキのものはすぐに故障してしまう。と日本に連絡をしたところ、すぐさま3人のエンジニアがやってきました。その日本人達は、バイクが故障するまでひたすら走り続け、故障の原因を追究していきました。故障の原因となったのは、カサブランカの気候にありました。砂漠の砂がフィルターをいためているので、それを改善していったのです。それもわずか2日間で。そのとき、コラス氏は日本人のすごさに感心したそうです。 こういったきっかけが日本でのシャネルのCEOへの道のりに繋がっていくのです。

木曜日, 5月 13th, 2010

2005年に引退したジンマーマンは、25年間ともにしてきた上司から「彼女は会社の母だ」とすばらしい評価をしています。それもそのはず、ジンマーマンは、チームワークをとても大事にし、場合によってはスタッフの相談にのりました。時には強いリーダーシップを発揮し、組織を引っ張ってきました。また、内部だけではなく外部からの評価もとても高く、「彼女は、シャネルの化粧品事業に目覚しい貢献をした」などアメリカの高級百貨店のCEOにまでも高評価を得ています。 ジンマーマンの成功には、現場の空気を直接肌で感じていたことが大きく関係しているのではないでしょうか。彼女は現場を歩いて周り、マイナーな顧客のニーズや要望も含めてきちんと把握していたりと、とても顧客との距離が近かったのです。また、彼女のリーダーシップは、、チームワークを重んじるタイプであたことからスタッフとの関係も良好だったのが伺えます。 2005年の引退時に「シャネル社のすばらしさはブランドそのものだけではなく、すばらしい人材を持っている点にある」と発言しています。例えトップだけが優秀であっても信頼できる人材や、リーダーシップを取ってくれる人材、すべてを任せられる人材が揃っていなければ会社としてはとても難しいでしょうね。シャネルはそこが見事にできているのでいつまでもすばらしい作品が仕上がってくるのですね。

木曜日, 5月 13th, 2010

シャネルの香水「アリュール」と「チャンス」。これは、1980年代における香水「№5」の復権となりました。また、顧客層拡大に偉大なる貢献を示しました。他にも基礎化粧品の「プレシジョン」など、香水、化粧品事業拡大に成功しました。この成功の鍵を握る数々のプロジェクトの成功者というのが、ジーン・へーん・ジンマーマンです。ジンマーマンはシャネルの香水と化粧品事業の大きな飛躍を見せました。 ジンマーマンは、香水事業のマーケティングディレクターとしてシャネルに参戦しました。ジンマーマンはアメリカで、シャネルの化粧品、コスメ(口紅、チーク、アイシャドウ)といったものをファッションブランド化粧品分野におけるトップとなりました。 シャネルのコスメがここまで人気を得たのはジンマーマン、彼女だといっても過言はなさそうです。

水曜日, 5月 12th, 2010

モーリーン・シケは、現場と傾聴を重視しているそうです。常に周りの意見を聞き入れ、反対意見も参考意見として聞き入れ、必要に応じて考えを変える謙虚さをもつこと。このことを、前職の上司から教わったと述べています。今までで最良のアドバイスだったと。 モーリーン・シケは、シャネルのニューヨークの5番街にあるオフィスにいるときも、ほとんど現場担当者の声を聞くことに費やしていたそうです。店舗に行った際には、今は何が売れ筋で顧客がどんな反応をしているのかなどといった情報を聞きます。こういった情報を視野に入れながら自分の持っている戦略をニーズに合わせて調整していたようです。スタッフの意見を聞き入れるのは、現場のスタッフのすばらしさを知っていたからでしょう。

水曜日, 5月 12th, 2010

三姉妹の長女として生まれたモーリーン・シケ。彼女の父親はアメリカ人にもかかわらず、ヴランス語を巧みにあやつり、フランスの文化が大好きな弁護士でした。そんな父親の影響を受けたのか、シケも母国語のようにフランス語を話すことに勢力を注いでいました。16歳のときにフランスの田舎町に行き、フランス人家族のもとで、4週間ほど過ごしました。彼女のフランス語マスターレベルといったら、アメリカ人だとさとられないほどなまりのないきれいなフランス語をしゃべっていたそうです。彼女の完ぺき主義なところがフランス語に表れています。 こういった完璧主義なところは、ココ・シャネルの哲学や、シャネル社が目指す究極のラグジュアリーの精神と同じでした。