シャネル(CHANEL)の情報についてお届けします。

シャネル☆CHANEL


金曜日, 9月 3rd, 2010

シャネルでは、時計事業への進出が他社よりも遅れていました。今ではシャネルの時計といえば「J12」とイメージがついていましたが、そのもととなる時計事業への進出は1987年のことでした。進出に時間がかかったことに対して、シャネルは、開発に5年以上かかり、納得いくレベルの製品ができるまでまったと述べています。ここに、技術にこだわるシャネルらしさが出てます。歳月をかけて育てた時計の発表の皮切りとして選んだのが、日本です。日本市場で成功すれば、他国でも成功するはずであるとの考えです。

当時の社長ミシェル・ピエトリーはm日本市場の規模や成長性があるとともに、日本人の目がとても肥えていることに着目しています。世界戦略の核たる日本。パリではなく日本で最初に腕時計を発売することの意義を主張しています。

月曜日, 8月 30th, 2010

世界のラグジュアリーブランドで重要になってくるのが日本です。日本は、最重要市場であるといった考え方や、日本人顧客は世界的に見ても要求レベルが高いといった認識は、シャネルに限ったことではなく、外資企業も意識していることです。

日本企業にライセンスを与えて、ロイヤルティー収入だけを得ていくのか、植民地のように本国が言うことを聞かせる支配型の日本人経営とは異なって、ある程度の権限を委譲して、現地に根付いた経営スタイルがあります。

日本市場での長期的な成功の要因を見出すことが重要となってきます。

月曜日, 8月 30th, 2010

シャネルの本社社長のミシェル・ピエトリーが来日したときのインタビューでは日本市場におけるライセンスビジネスのことを答えています。

「ブランドの高級イメージを維持するには不適当な戦略」

とライセンスビジネスの否定について強調していました。当時のシャネルは、日本での業績が、前年比25%アップととても好調でした。それについて、ブランドの個性を維持しつつ直接管理化で生産化し、流通まで一貫して自社管理しているからだと分析した。(「日経産業新聞」1987年9月29日付け)

ファッションビジネスで成功するのにはこのうちの一つでもかけてはならないといいます。この考えは、現在でもグローバルレベルで継承されています。

月曜日, 8月 30th, 2010

日本は、世界中のラグジュアリーブランドから見ても有力市場となっています。日本での売上は最も重要となってきます。

シャネルの日本法人本社は銀座3丁目のシャネル銀座ビル内にあります。商品はすべてフランスから輸入しており、そこから直接販売しています。独立非上場企業であるシャネルは、歴史も含め、売上などの数字の情報がなかなか上がってきません。その中でも「経済界」という雑誌で公にされたデータがありました。それによると、資本金34億6000万円、従業員数1500人、売上高700億円(2004年)とのことでした。(「島田晴雄の企業訪問 21世紀の未来型企業と経営者」「経済界」2004年5月11日号)

他の欧州系のラグジュアリーブランドとは異なって、ライセンス生産は進出時から一切行っていないのがシャネルの特徴ともいえるかもしれません。

月曜日, 8月 30th, 2010

シャネルが、飲食事業をするにあたってパートナー選びが重要となってきました。そのパートナーとは、アラン・デュカスを指名しました。それは、両社が持つ哲学に共通点が多くみられるということからでした。

デュカスは、日本の文化の中には、歴史やストーリー、言い伝え、伝統、習慣存在し、それらがとても深く根付いていると感じているそうです。(「週刊文集」2009年4月30日号)

伝統的なフランス料理に新しい流れをおこしました。日本とフランス料理のコラボレーションを実現し、進化し続けていきます。

「今後、たとえば2年後にどんな料理をつくっているのかはわからない」

と強調しています。

日本料理や日本文化のいいところを取り入れていき、京都の老舗料亭との共演を実現するなどの試みをしています。そのインタビューでは

「今後日本料理以外との交流を考えているか」

といった質問には

「センス、モノへの理解という店で日本が非情にすぐれている」

と日本への思いを語っていました。

月曜日, 8月 30th, 2010

シャネルをはじめ、世界のラグジュアリーブランドがレストランやカフェを併設していきました。エルメス、グッチ、ブルガリ、アルマーニなど老舗ブランドがあげられます。他には、カジュアルめなブランドでもある、イタリアの「フルラ」もカフェを併設しています。さらに、日本のブランドでも真珠のミキモトがレストランとカフェを併設しています。

このように、様々なブランドが、レストランやカフェを併設し、業界に新たな風をふかしていきます。この流れを作り出したのはシャネルでした。常に時代のニーズに合わせ、最先端事業を展開するのはシャネルの得意技なのかもしれませんね。

月曜日, 8月 30th, 2010

シャネルは、ラグジュアリーブランドの飲食事業への流れを作ったパイオニア的存在となっています。
ピエール・カルダンは、ファッションブティックに併設したものではなく、純粋にレストラン経営をしているのが、高級レストラン「マキシム」です。

シャネルは、本業であるファッション業界のみならず、食やインテリアなどといったライフスタイル全般でブランドイメージを顧客にアピールするためにも飲食業界への展開を始めました。そうすることにより、新たなファンを獲得することが可能になってきます。

他のラグジュアリーブランドも飲食事業へと幅を広げています。
エルメスはカフェ、アルマーニはレストラン、ブルガリはレストランとカフェ、グッチはカフェ、アルフレッド・ダンヒルはカフェ・バーと次々と銀座にオープンしていきました。

金曜日, 8月 27th, 2010

シャネルの舟橋の化粧品研究所では、おもしろい活動をしています。それは、地元の小学生を招いて、一日研究体験を実施しているのです。(『広報ふなばし』2006年9月1日号)
夏休みを利用して、数十名の小学生を招きます。そsて、化粧品作りを体験してもらいます。

日焼け止めの中身と効果、どんなものが使われているのか、なぜその成分を使用するおか。16類の薬品を混ぜて日焼け止めクリームを作成していきます。一日体験をした小学生は、

『研究員の仕事も、楽しそうでいいなぁと思いました。』

といった感想がよせられています。

『世界的に有名なシャネルだということもあり、少し緊張しました。』

とシャネルの認知度がわかるような感想もありました。

金曜日, 8月 27th, 2010

シャネルの創設者、ココ・シャネルは、何もないとことろから、色々な困難を乗り越えてファッションビジネスのトップに上り詰めました。この経験からピグマリオンの精神が生まれたのではないでしょうか。そして、世界各国の音楽家や演奏家たちの表現のばや、サポーターとの出会いの場、そして、人脈をつくる場として、音楽祭を提供しています。この音楽祭は今後も継続していくそうです。(『ストリング』前渇)

単に、話題性だけではなく、創業者、ココ・シャネルの理念を深く理解して、長期的なスパンで取り組む姿勢がとてもよく表れています。
ココは、愛人がきっかけでお店をするようになったそうですが、成功したと同時に今までかかった資金をキレイさっぱりと返金したそうです。何かココ自身愛人に頼りっぱなしは良くないと感じたのでしょうか。それともお別れの合図だったのでしょうか

金曜日, 8月 27th, 2010

シャネルは2006年度から、YCAとのコラボレーションで、音楽祭『Yong Cocent Artisis Festival Weeks at CHANEL NEXUS HALL Tokyo』を開催しています。この音楽祭は抽選で選ばれるしくみになっており、当選すれば無料で聴衆できるようになっています。誰でも応募することができます。さらに、演奏家も、音源とプロフィールを送付し応募することによって、選ばれることができたら、演奏することができるのです。
世界各国からYCAの才能あふれる若手アーティストたちが再び来日し、YCAの卒業生として世界で活躍する日本人アーティストも演奏として参加したりと、とても内容の濃い音楽祭となっています。

シャネルは悪魔でも、スポンサーになるわけではなく、アーティストにサポーターとの出会いの場や、表現できる場を提供し、人脈を広げていくことで、将来につなげていってもらうことが目的だそうです。